あなたいい人ね・・・。言われて悪い気になる人はいないでしょう。筆者も良い人と言われて悪い気はしません。
逆になんとなく損したなぁと感じることってないでしょうか?人に与えた分だけ自分も幸せになれれば最高ですが、世の中、誰かのために頑張っても、ブーメランのように上手く戻ってこないこともしばしば。
実は、人から「いい人」と言われるタイプで、何となく自分は損をしているのではないか?と感じる人は、少し図太くなる努力をすべきかもしれません。
いい人の考える悪い人は本当に悪い人ではない
先日、こんな出来事がありました。筆者の勤める会社の上司の家族が亡くなったというのです。その上司は、日頃、パワハラ気味の人で、人を罵ったり、イジメ尽くしたりと嫌われ者です。
そんな上司が葬儀のため1週間近く会社を休むことになりました。上司の部下は仕事上のあらゆることをお伺いを立てなければ進められない関係になっていたものですから、さあ大変です。
火急な要件が発生するごとに電話をはじめました。もちろん、中々上司は電話に出ないのですが、兎に角、電話をするしかないのです。
それを見たを別の部署の社員が遠目に、「上司の家族が亡くなったのに、あの人たち非常識だよね。人間的に最低だ。もっと上司の気持ちを考えた方がいいよ」と陰口を言い始めたのです。
このエピソードは何を意味するのでしょうか?
この話で悪いのは上司です。なぜならば、部下が自らの判断で仕事を出来るような環境を整えなかったために、このような事態を招いたわけです。
また、他部署の陰口を話していた社員たちは常識のある正義感のある人間なのでしょうか?いいえ、違います。単純に、ある一部分だけを見て罵っているだけの存在です。物事の本質を見抜いている訳ではありません。
つまり、いい人、悪い人は相対的なものでしなかなく、立場によって変わるのです。
もっと自分中心に物事を考える方がよい
もちろん、生まれつき自己中でどうしようもない人は存在します。しかし、すでに「あなたいい人ね」と言われ続け、さらに損をする局面が多い人は、もう少し、自分を大切に考えても良いかもしれません。
例えば、見返りを求めずに人のために尽くすべき・・・とか、先ほどのエピソードを例に取れば、上司の家族が亡くなったのだから、寄り添うべきだと考えすぎる必要はないのです。
「電話に出られなかったら出ないだろうから、1回くらい電話してみるか」くらいの図太さは良いのです。
そして、案外、清廉潔白に見える人でも、無条件に人のために尽くす人はほとんどいません。清廉潔白に見える理由は、その人が「周りからそう見えるように」意識しているからに過ぎません。
最終的には多くの人が、自分のメリットを第一に考えて行動しています。周りに親切にするのは、そうした方が人間関係を良好に保てるからであって、無意識に自分を守る方法として活用しています。
ですから、あなたも、「良い人」に囚われて、最終的に損をする必要はありません。
最後に
このような文章を書くと、歪んでいる、穿っているなど批判をいただくでしょう。しかし、世の中には、人に尽くすあまりに損ばかり背負ってしまう人が確実に存在します。
計算高くなれと言っている訳ではありません。人間はバランスです。計算高く、人を傷つけすぎることも問題ですが、人のために尽くし過ぎ、自分の心を蔑ろにすることも、やはり問題です。
もし、人の立場に立ちすぎて、自分が悲しい思いばかりするのであれば、多少は、図太い生き方をしても良いのではないでしょうか?
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