人を疑うべきか、信じるべきか?この問題は、大昔から議論になる話題の一つです。
疑うことを知らない良い人は長生きできないとか、人は信じることで道が開けるなど、色々な意見があると思いますが、あなたは、どちらだと思いますか?
結論を先に言ってしまいますが、筆者は、人を信頼することで自分が幸せになると信じている一人です。もちろん、何か信仰をしている訳ではありませんし、特に騙されやすい人間でもありません。それは、人を疑うことで損をした経験の方が多いからです。
なぜ人を信用すべきか?
ジャスティン・ロック著 『誰も教えてくれなかった!お金の取り扱い説明書』によると、まとまった資産や財産を持つ人と、お金がない人の差は、人を信頼できるか出来ないか?加えて、信頼されるか、されないかの違いにあると語っています。
例えば、子供の教育を例に取ってみると分かりやすいのだとか。
貧しい地域の学校を観察してみると、厳しい校則でしばられ、意味のない規則でがんじがらめにされている一方、裕福な子供が集まる学校は、比較的、規則にゆるく、本人の裁量に任されているケースが多いのだとか。学校の授業が無益だと思えば、自分の判断で図書館に行って、読書に励むなんてことも裕福な子供が集まる学校では当たり前なのだそうです。
つまり、裕福と貧困の間には、お互いを信頼できるか、できないかの大きな差があるというのです。
この本は海外の話しですから、多少極端かもしれません。しかし、言われてみれば確かにそうです。誰にも信用されずに決まりばかりで縛られた生活は、決して豊かな心を持つことなどできないでしょう。想像力やあらゆるモチベーションも人から信用され、頼られることにより上昇するものです。培われた想像力やモチベーションは、リーダーやゼネラリストと呼ばれる人に共通する能力です。だからこそ、裕福な子供が集まる学校では、全面的に信用し、豊かな心を育てようとするのです。
そして、人から信用されるためには、自分も人を信用することが不可欠です。
信用すべきか迷ったらルールを決めよう
人を信用すべきと分かっていても、あまりにも胡散臭い話に安易に乗っかる訳にもいきませんよね。世の中に騙す人、騙される人がいる限り、万人を信用する訳にもいかないからです。
ちなみに、筆者は、人を信用するとき、直感も大事にします。これまでたくさんの人と出会い、話してきた経験から生まれる直感は、それなりに信ぴょう性があるに違いありません。しかし、絶対に最終判断を直感に委ねることはしません。直感は、相手への信頼を後押しするカンフル剤でしかなく、ジャッジをするための最優先要素ではないからです。
では、どう判断すべきなのでしょうか?
筆者は、ルールを決めると良いと考えています。
そのルールとは、1年後、2年後、そして10年後まで、その人と関われるかどうかです。つまり、場当たり的に付き合う人なのか、これから長い年月付き合える存在の相手なのかどうかを重視しています。
もし、短期的な利益やメリットで付き合う相手だとしたら、簡単には信頼しません。当然、家に訪問してくるセールスマンや、たまたま取引先の人に紹介された人物は、疑いこそしませんが、信用するに足りる相手ではありません。
しかし、お互いに長期的に関係を築ける相手であるならば、自分を明かし、そして全面的に信頼します。そして、長期的に付き合える人物なのかどうか見抜く力を養えるよう日々努力しています。
人を疑いだすとキリがありません。また、自分が疲れるという側面もあるります。だったら、人を信用する方にベクトルを向けるべきではないでしょうか?そして、そのためのルールを作る。そんな生き方ができれば素晴らしいと思いますよ。
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