今や、携帯電話を持たない人は絶滅した・・・と思いきや、先日、スマートフォンならまだしも、いわゆるガラゲーすら持っていない女性と出会いました。
筆者は、あまり音楽に詳しくないのですが、エスニック系の音楽バンドに所属し、飲食店で演奏する仕事をしているのだとか。
「やっぱり、音楽をやっていると食べて行くのが大変なんですね〜」
「いえ、お金が無いからではなく、携帯が嫌いなんです。自由に生きたいんです。」
トンだ失礼をしました。お金がないから夢に向かって通品費を削っているのかナ・・・などと、思い込んでいましたが、携帯がなければ自由に生きられる!という、普段、気にしたこともない話に考えさせられるものがありました。
携帯・スマホが登場してから忙しくなった!?
筆者は現在、30代中盤です。つまり、幼い頃はインターネットはもちろん、携帯電話すらありませんでした。初めて携帯電話を持ったのは大学に入学してから。
思い返せば、幼い頃、夜も8時を過ぎた頃、団地の廊下に響く足音に耳を傾け、父の音を聴き分けながら待ったものです。
通信手段が限られていた時代、時間ごとに関わる人間が限られていて、例えば、仕事の時間は仕事関係の人としか話しませんし、家に帰れば家族としか話しません。友達といるときは友達とのコミュニケーションに集中。そんな時代でした。
ところが、携帯電話が登場してからは、LINEやメールも含めて、連絡があれば即時に対応。常時、複数のコミュニティと関わるように変化しました。
とても便利ですが、目の前にいる人だけでなく、遠くにいる人とも交互にコミュニケーションをとらなければいけなくなった点で、徐々に煩わしくなり、振り回されていると感じるのも頷けます。
聖徳太子はたくさんの人の話を同時に聞けたと言われていますが、私たちも一種の聖徳太子状態。多くの人とコミュニケーションをしなければならないのは確かに疲れますよね。
そろそろ携帯電話ナシな生活が必要かも!?
筆者も「会社携帯」というものを持っています。いつでも、どこでも仕事の電話を受けられる一方、帰宅後も常に電話が手放せません。
ひどいときは休日も!
加えて、地下鉄の電波が改善されたことで、「電波がつながらなくて・・・」的な言い訳ができなくなってしまいました。
ある種の携帯電話恐怖症なのでしょうか。こまめに携帯の着信をチェックしなければ落ち着かない状態。これでは、便利さよりも疲労感の方が上回ってしまいます。
冒頭で、携帯電話を持っていないというミュージシャンに、「携帯電話をもっていない=アブノーマル」な色眼鏡で話しかけてしまった筆者でしたが、この際、携帯は持ちません!というライフスタイルを堂々と主張できる時代になれば良いなと、しみじみと感じてしまいました。
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