グローバル化が叫ばれている中、今を時めく安倍晋三首相が掲げているのが解雇規制の緩和。ざっくりいうと企業が簡単に従業員を解雇できるようにしようというものです。
当然のように労働組合や有識者をはじめ様々なメディアが批判を強めています。
一方、レイオフという言葉が頻繁に新聞紙面に踊るほど、リストラ、解雇が容認されている国・アメリカ。なぜ太平洋を挟んでお隣の国同士で”クビ切り”に対する意識がここまで違うのでしょうか?また、もし、安倍首相が掲げる解雇規制が緩和された場合にどのような社会が想定されるのでしょうか。本日は、少し真面目に。そして、保守的な意見は脇に置き、少し世論の主流と異なる意見をご紹介したいと思います。
そもそもアメリカの職場はどんなところ?
企業が従業員をリストラするとき、決まって話題になるのが追い出し部屋やイジメ、パワハラによる自己都合退職の話題ではないでしょうか?追い出し部屋の話題ともなると、少し新聞をめくるだけで世のお父さん達が、いかに戦っているかの手記をたくさん見つけることができるでしょう。
一方、不景気になると大胆なリストラ策を打ち出すアメリカ系企業。そうなると、アメリカでも追い出し部屋や労働組合の闘争が起きているのでしょうか?
答えはNoです。もちろん、労働争議や裁判なども存在します。でも、日本ほどではないというところでしょうか。では、アメリカの職場やクビになるときの状況はどんなものでしょうか?日本の一般的な企業と比較しながらご紹介したいと思います。
● 大学は総合職な日本vs労働者のドメインが決まっているアメリカ
日本では、大卒の新入社員の場合、総合職など将来の幹部を目指して競争がスタートします。特に男性の場合、転勤や様々な職種を経験しながら適性を評価されつつ、幹部へ登ってゆく社員と、現場で活躍させる社員に分類されてゆくケースが多いのではないでしょうか?
一方アメリカでは、大学に入学した時点で将来の道が絞り込まれます。アメリカ社会は誰でも大学を卒業できる訳ではなく、常に勉強を続け、努力を重ねた人だけが、卒業証書を手に入れることができる社会です。つまり、この段階で勉強をしないで遊んでいる人間は排除されてしまう仕組みになっています。卒業する人はそれだけ専門的な知識を身に着けた努力家だけ。
いうなれば日本社会は「働きながら適性を見つけてゆく」社会なのに対して、アメリカは「スペシャリスト」を育てる社会なのです。
経営を学んだ人間は、若いころからゼネラリストの教養を意識して勉強するし、技術者は大学の頃から技術を追及する。そんな社会と言えるのではないでしょうか?
もちろん、アメリカの職場は、そんな人の集まり。経営者は数字や株価など経営に必要なことに集中して仕事をするし、技術者や営業担当者は、常にどうしたら自分の専門性を生かせるかを追及しています。だから、部署移動も比較的少なく、転勤もあまりないといったところでしょうか?逆に一生をかけて一つのことを追及するので、これはすごい!と呼べるスペシャリストの集まり。間違っても、自分の適性が分からない・・。という人は見かけない社会です。
● 年齢が上がると就職しにくい日本vs年齢や性別の話題はタブーのアメリカ
男女雇用機会均等法や雇用関連法規で守られている日本は、特別な理由なしに採用の条件として年齢や性別を条件に盛り込むことは禁止されています。ただ、現実にはそんな仕組みにはなっておらず、年齢や性別で選んでいるということは往々にしてあるのが日本です。採用の理由も、「なんだか将来に期待がもてそう」。そんな理由が多いのではないでしょうか?
一方、アメリカ社会では年齢や性別を語ることはタブー。これは社会の認識なんですね。法律上は禁止されていても「なんだか将来に期待がもてそう」な人を探している人事部にとって、性別や年齢は大いに関係のある日本。
アメリカの採用担当者は、年齢や性別を考えること自体、「恥かしいこと。野蛮なこと」と考えているのです。それよりも、その人がどんな専門性を身に着け、どんな実績があるのかを評価します。これは社会的に認知されている事実で、例えば、日本ではレストランなどの会員カードを作るとき生年月日や性別を書く欄があったりしますが、アメリカでは考えられないことです。だって、生年月日や性別って、レストランのサービスに関係の無い個人情報でしょ?ということになるのです。これは職場でも同じで、「人間の能力に年齢や性別は関係ないでしょ?」そういう考え方です。
外資系の会社に就職するとこのあたりの違いを認識させられます。アメリカの職場では若者から中高齢者まで様々な年齢や性別の方が同じ職場で働いています。給料も年齢や性別で大差はありません。その中で実績を上げた人間がリーダーシップをとり、給料が上がってゆく仕組みなのです。
● 社歴が長い日本vs入れ替わりの激しいアメリカ
勤続20年・・。30年。そんな社歴がモノをいうのが日本の会社ですが、社歴という言葉が死語になっているのがアメリカの会社ではないでしょうか?
去年働いていた同僚が今年はいない。アメリカの会社ではよくあることです。実は外資系で働く筆者。筆者は日本の支社で働いていますが、アメリカの本社の人間はこの数年でほとんど入れ替わってしまいました。ある人は、給料を上げることをを目指して自主退職。ある人は、実績が挙げられないために即日退職になっていました。
アメリカの会社で退職を迫られる場合、多くのケースでパッケージと呼ばれる退職金がもらえます。
ある日、会社に出勤すると、部屋に入るためのカードキーが動作しない!人事のフロアーに行くと「あなたは解雇されることになりました。マネージャの部屋に行ってください」と言われるのです。マネージャの部屋に行くと、「うちの会社は業績が上がらないので、あなたに退職してもらうことになりました。生活の保障として200万円を支給するので本日付で退職してください。」
こんな一言で退職が決定したりします。
雇用は保証されていた方が幸せか?
ここまで読まれた方は、「アメリカってひどい社会だ!」と思われるかもしれません。
でも、実はフェアなんです。
例えば、日本では会社の求める能力と従業員の能力が一致しない場合。または、会社に従業員を雇うだけの資金がない場合、従業員を簡単に解雇できないために、イジメやパワハラで追い出そうとします。特に従業員の技量と会社の求める人物像が一致しない場合は悲惨で、同僚や上司から白い眼で見られながら働き続けなければいけない社会です。つまり、性格や相性が合わない相手と結婚して、苦痛を伴いながら結婚生活を続けなければいけないのと同じこと。
なぜならば、再就職が年齢や性別により簡単にできないから。
アメリカはもっとシンプルに考えます。会社と従業員の能力が違ったり、人的コストが見合わなくなったら、お互いにダラダラ付き合っているよりも早く離婚して、新しい道を見つけた方がお互い幸せでしょ?
そういう発想をします。逆に就職に関しては寛容で、「まずは雇ってみて相性を見極めよう」と考えるので、たとえ解雇されても日本よりも新しい仕事は見つけやすいという部分があります。つまり、能力があるのに上の人が辞めないから給料があがらない!ということが発生しにくい社会なのです。一方、会社の求める能力とミスマッチになったら、ワンランク下の会社に移動することになりますが、そこで努力すれば、再びハイレベルな会社で自分の能力を試す!といったリクエストにも応えやすい。そういうことなんです。
この違いは非常に重要で、もし、あなたがお付き合いしている恋人と性格が合わないと感じたとき、別れて他の男性と相性を試すことができる。これが社会ぐるみで実現されているのです。
常に努力することが理想の恋人を見つける条件であるならば、アメリカの会社も常に努力が求められます。でも、努力を続けた人間はそれなりに評価され、高い給料の会社に乗り換えがしやすいということを意味します。また、疲れてしまって、少しペースを落としたとしても、再び努力すれば、這い上がるためのチャンスは用意されているということなのです。
社会の変化が激しいこの時代に、現状を維持するということはこの日本でも至難の業です。そんなときに変化を常に模索して努力した人間にはチャンスが与えられる。それが、雇用の流動化であって、規制緩和で起こることなのです。
筆者の目から見れば、世の中がこんなに早く変化している時代にも関わらず同じ会社で踏ん張り続けること自体無理があるように思います。
それならば、クビになっても、今の自分を真摯に受け止め、新たな場所で再挑戦ができる・・。そんな社会の方が長い人生の紆余曲折の中で幸せな気がしますね。
安倍首相の目指す雇用の規制緩和は何も企業側の論理ではなく、労働者にも様々なチャンスを与える施策な気がしてなりません。
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