[寄稿:Rikkaさん]
「ハンカチを落とす」という行為は、昔から女性から作れるキッカケづくりのテクニックでした。キッカケは、やはり、女性がつくるのであって、このクラシカルな作法を活用することで、女性は恋を成就させていったのです。
それは、恋愛を単調でなく陰影をつける意味からも意義深い作法でした。 そんな悠長な手法なんてスピードが合わない古いと多くの現代女性は、不服を述べたいかもしれません。
でも、あなたの恋を成就させるためには、余り急ぎすぎる自発的告白は、余り良い方法とは言えないかもしれません。
実は、恋愛を成就させるための素晴らしいらしい方法論は、身近にいたネコが実践していました。この気紛れで、自然の流れのままに生きているようネコから恋愛術を学んでみましょう。
生後五ヶ月の猫が教えてくれたこと
過去、猫を飼っていた時がありました。メス猫です。雑種ですが、ベージュ色のノーブルなネコでした。ある冬の日、夫と二人で炬燵に入っていた時、飼っていたネコは、とりあえず、私の膝元に乗りました。けれど、何か落ち着ないのです。目線はチラチラ夫の方ばかり見ています。
しばらくして、我が家のネコは、おもむろに立ち上がると部屋の隅に行ってみたり、あっちこっち寄り道をして、ゆっくりと夫との距離を縮めていきました。最初は、その不可思議な行動に何をしているのだろうと見ていると、最後に、とうとう夫の膝に乗ったのです。
夫もネコが膝にのることを拒みませんでした。その時の我が家のネコの満足そうな表情…やっと、自分が望んでいた夫の膝に座れたという満ちたりた表情をして、私の方を見たのです。 その目は、まさしく人間の女の目線と同じように見えました。何だか、私に勝ったような、そんな誇り高い眼差しを私に向かって放ったのでした。
我が家のネコのターゲットは、私の膝なんかではなく、夫の膝だったのです。
このネコはメスだったで、同性の私より異性の夫の方に憧憬の思いを持っていたのだと思います。こうして、彼女は生後五ヶ月位しか経っていないのに、憧憬のターゲットにどう近づくか生まれながらに羅針盤を持っていました。そして、自分が欲しいものに、どうアプローチすれば獲得できるか知っていたのです。
あるいは、彼女なりに最適な策を練り、そうした手法を編み出したというのでしょうか。
目標標物を曖昧にして迂回しながら、ターゲットに近づくといテクニック…これは、ある意味、狩と同じですね。目標物を狙いを定めて追いかけまわせば、敵に逃げれてしまうでしょう。
目標を獲得するため、迂回して目標物にアプローチするのですが、こうした行為は、偽装も擬態とも言われています。
けれど、こうした偽装・擬態は、恋愛にも共通するテーマですね。
恋愛も直線的にアプローチすると、相手は怯えて逃げてしまいます。
どこにターゲットがあるのか分からないように回り道をし、欲しいものから遠ざかったような振りをして、周辺から少しづつ距離を縮めてターゲットに近づく手法…これは、完全に恋愛のプロセスと合致しています。
このネコの巧みなアプローチを見ていれば、おのずと、あなたが憧れている相手を追いかけたり、ストレートに対応したりするのは、こと恋愛に関しては、賢い方法ではないことに気付いてくれるでしょう。
片思いの時こそ、このネコのテクニックが使えそうなのです。
片思いの告白はしない方がいい!
こうした点から考えても、恋愛における片思いの告白においては、ネコの行動を思い浮かべましょう。ターゲットを絞り、その目的を得るためには、相手に自分の行動をストレートには見せない…むしろ、婉曲的に迂回する…すなわち、ターゲットをぼかし、遠ざける振りをして、その実、ターゲットを近づかせるのです。
実際問題として、片思いの恋において、告白して自分の気持ちをストレートに伝えたとします。うまく行った時はいいのですが、もし断られたとしたら、そこでゲームは終わり。それ以上あなたは、何も対応ができなくなり、その恋は、御破算ということになります。あなたの恋は、一瞬で終了してしまうでしょう。あなたが、その恋に賭ける情熱があればある程、あなたの立場は重苦しく苦いものとなってしまうでしょう。
こうした苦い体験が、あなたの心にトラウマを残さないようなら、その方法も表現方法として構わないのです。
あなたが、すぐ次の恋愛を始めるようなタフな女性ならば、何も言うことはありません。
けれど、そうでないのなら、あなたは、大切にしていたはずの恋に打つ手がなくなってしまっていることに気付くでしょう。つまり、告白はリスクの高いものであったことを実感することになってしまいます。
さらに、その思い出も苦いものとなる可能性もあり、後に引きずらないとも限りません。
当たって砕けて、砕けたことをどうとも思わない人なら、「いくらでもどうぞ」と言いたいのですが、少しでも後悔するのなら、「告白は、ちょっと待ったらいかが?」とお勧めします。
ケセラセラのネコ的心
ここで、またネコに学びましょう。
ネコの変わり身の早さ、たとえ、失敗しても、過去は気にしない…ケセラセラの心です。
今現在の欲しいターゲットを取る…それゆえに、迂回してチャンスを待つのです。
計画なく無謀に飛びついても駄目。ターゲットは、少しづつ自分の方に引き寄せていきます。
ネコは群れることもなく、一匹で餌を獲得し、自立し揺らぐことなく立っています。
強さ、しなやかがネコの合言葉です。孤高の強さです。
ネコのことを考えると、この自立の心に行き着きます。ネコは、飼い主から餌をもらっていても、根本的には従属しません。自分の気分を優先させます。
飼い主が呼んでも、犬のように駆けつけてくることもなく、尻尾で答えたりするくせに、自分が手持ち無沙汰になると、退屈しのぎにすり寄って来たりします。 でも、それが身勝手に見えないところが、ネコの特技ともいうべきものでしょう。
その自分勝手さに一瞬ムッときても、あの大きな眼差しで見つめられ、そして「ニャー」と鳴かれると、自分の心のすべてを見透かされたようで、つい飼い主は、ネコのペースに巻き込んでしまうのです。
この猫的方法論は、どこか昔からあった女性のハンカチ落としに似ていませんか?
自分が動いてしまうのでなく、相手が追いかけられるよう状況作りをする…あるいは、相手が動くようにキッカケだけを作る…そのようにして自分に惹きつけておいて、ぱっと邪険に放つ。すると、相手は、このことが気になって仕方がなくなる…これが恋に堕ちるという状況ではないでしょうか。
恋愛の終着駅はどこ?
では、もう一度、振り出しに戻って考えてみましょう。
そもそも恋愛とは…そして、その終着駅は、どこにあるのでしょうか。
片思いのあなたは、その恋の行き着く先を、結婚に求めていないでしょうか。 でも、もう一度考えてみて下さい。恋愛の終着駅が、家庭を持ち子作りをする結論というプロセスではないことを…。極端に言えば、恋愛の多くは、その終着駅は別れであって、それこそ粋な別れをするために恋愛をしているようにものではないでしょうか。
恋愛というのは、目的を定めない架空の世界を漂う遊戯のようなものです。それは憧憬であり、夢の世界であり、決して現実に着地できるものでもありません。むしろ、現実に着地した途端、恋は色あせ砕け散ってしまうものかもしれません。
架空の世界でのみ花咲き、幸福感を保っていられるものが恋です。それゆえ恋愛の終着点を結婚にもって来ると、多くは失望します。結婚の究極的目的は、やはり、子孫作りという現実的重要なテーマがあるからです。家の問題も、すぐ浮上します。お金も必要です。
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