こんにちわ!恋ピット編集部です。
先日、九州大学の社会心理学者・縄田健悟氏が、1万人を対象に血液型と性格の関係性を調査した結果、血液型と性格の因果関係はない!という研究結果を発表しました。ブラッドタイプ・ハラスメントといって、血液型による性格の分類は、社会的に「そうだ!」と決めつけられ本人もそう思い込んでしまうことによるステレオタイプであるという学者も多数いますね。
でも、そう思えないのが血液型による性格診断。実はB型の筆者。B型ってマイペースだとか直情的とよく言われてますが、確かにそうなんですよ。加えて、B型同士、あまり話さなくてもお互いに何を考えているかよくわかる・・。目配せや阿吽の呼吸で会話ができてしまう時なんか、やっぱ自分はB型だわ・・。と感じてしまいます。
ところで、そんな血液型ですが、歴史上の人物の血液型って何型なんでしょうか。芸能人や有名人の血液型はテレビなどで公開されてますが、歴史上の偉人ともなると分かるのかいな!!調べてみると、DNA解析やら子孫の血液型なんやで結構わかるみたいですね。そこで、本日の恋ピット編集部は歴史上の人物の血液型を調べたいと思います。
織田信長と豊臣秀吉の血液型
織田信長・・A型
豊臣秀吉・・O型
単刀直入に有名な戦国武将の血液型。戦国時代のアイドル級有名人といったら、織田信長と豊臣秀吉しか思いつかない!!そんな訳でこの2人をチョイスさせてもらいました。そもそも、なんで500年も前の人の血液型がわかるんだ!とお怒りな方。どうも血判といって、血で押す印が現代にも残されているんですね。その血判の分析からわかるらしいのです。
織田信長と言えば冷酷無慈悲なイメージがしますが、実は逆だったという説が有力です。確かにはみ出し者だったようですが、同じく時代に溶け込めない若者たちを集めて家来にしていったという要素が強く、仲間意識は強かったようですよ。また、史実かどうかはハッキリしませんが、側室の吉乃が亡くなった時には、涙を流したという話も語り継がれていますから、意外とA型っぽかったのかも。一方の豊臣秀吉は出世欲の塊のような人物で体力だけは誰にも負けない!という人物ですから、O型と言われるとこちらもなるほど・・。と思ってしまいます。
西郷隆盛と大久保利通の血液型
西郷隆盛・・B型
大久保利通・・O型
明治維新に活躍したこの2人も外せない人物です。NHKの大河ドラマ『翔ぶが如く』では、西郷隆盛と大久保利通の若かりし頃から晩年までを描いた作品で、改めてこの2人の存在感を再確認したドラマだったのではないでしょうか?西郷隆盛と言えば、鹿児島出身の軍人で明治前期の西南戦争により、かなり説明を省略すると、色々あって自害することになってしまった人。(鹿児島県の人すみません。) 一方、大久保利通は最終的に暗殺されてその一生を終えてしまいますが、明治維新の立役者として活躍し今も人々の記憶の中に受け継がれています。
確かに政治家や経営者にO型って多いって言いますよね。一方の西郷隆盛はいうなれば時代の変化の波に取り残されてしまった人というイメージもあります。でも最後まで信念を貫くなんて、ピャアなB型の特徴を表しているのかも。
ビル・ゲイツとレオナルド・ダ・ヴィンチの血液型
ビル・ゲイツ・・B型
レオナルド・ダ・ヴィンチ・・B型
無から新しいものを作り出したという点で共通するのがこの2人。MS-DOSやWindowsを世に送り出したゲイツと、モナリザに代表される絵画やヘリコプターの原型を設計したダ・ヴィンチを比べるというのもオツなものです。ただ、外国は血液型性格診断なんて無いし、外国のここまで古い人と比べてもどこまで正確かは分かりませんね。
でも、もし、本当にB型だったら面白い。B型って独創性があって、発明家に適しているなんて血液型の本には書いてあったりしますが、確かに当たっているかも。
ちなみに、スティーブジョブズの血液型という情報もありましたが、A型、O型、B型など様々な情報が錯そうしていて、確かな情報は得られそうにありませんね。でも、もし、B型だったらちょっと血液型性格診断に信憑性が出てくるんじゃないの?なんて考えてみる筆者でした。
いかがでしたか?歴史上の偉人の血液型を探るのも、ちょっとロマンがあって面白い。でも、ネットを探し回って見つけてきた情報ですので、もし、あなたが大学生で血液に関する卒業論文に使おうなんて考えていたらヤメテね。後で捏造だ!なんて言われても謝罪はしませんから!
コメント
コメント一覧 (2件)
気質・性格などはヒトの脳がいちばん関わっていそうですが、医学では脳はABO型等の血液型物質を区別しないという見解です・・・だけど血液型による性格分類は当たっていることが多いですよね、やはり人はアタマよりハートが大事ってことかな。
信長がA型というのはどうにも信憑性が低いみたいですよ、
血液鑑定をした毛髪というのは信長本人のものではなかった可能性が高い(もしくは鑑定したこと自体がデマ?)とのこと。