愛とは何か?愛されたことが無い人へ贈る愛の定義とは?

人を愛するということ

カーオーディオのボタンを押せば、愛を語る言葉がラジオから流れてきます。街では恋人たちが愛を囁きあっています。世の中には愛という名の言葉が溢れ、いつでもどこでも聞くことができるこの言葉。

愛って、そもそも何なのでしょうか?

もちろん、愛の定義は人それぞれ。私はこう思うという意見もあるかもしれません。本日は筆者の考えを元に、愛について考えてみたいと思います。

恋愛と愛の違い

恋愛、相思相愛、愛くるしい・・・。など、愛が付く言葉はたくさん存在します。よく聞く議論として、『恋愛』と『愛』は何が違うのか?について書かれた記事はたくさん見かけるでしょう。
しかし、過程について書かれた記事は少ないように思います。

あなたは、彼や彼女に「君を愛してるよ」と言われて、「果たして本当に私を愛しているの?」と疑問に感じた経験はありませんか?

それもそのはず。これは、人が出会い、結婚するまでの過程を想像してみれば当然のことです。

人と人が出会い、お互いをよく知り、そして一枚一枚お互いの殻を壊して相手の本当の姿を理解する。その先に結婚や、出産があります。
つまり、人が添い遂げる前に、お互いの仮面を剥がしてゆく作業。それこそが、「恋愛」の本質です。

愛は、その余分なものを剥ぎ取った先にあるものと理解すれば良いでしょう。

恋愛は、まだ「恋」という、仮面を纏った状態で、お互いに探り合っている状況と言えます。その仮面、「恋」が外れて初めて「愛」が現れるのです。「恋愛」という漢字から「恋」の字が外れて初めて愛に変わる。

まだ、恋という仮面が存在する状態では、相手の愛の囁きに疑いを持ってしまうことは当然なのです。

絶対に見捨てないこと、離れないこと、そして敬うこと

しかし、だからと言って、恋が外れただけで、すぐに愛が深まる訳ではありません。
一つ足らないものがあります。それは、相手を敬うこと、尊ぶことです。

「恋」という仮面が外れて、産声を上げた「愛」。裸のままの「愛」に、新たな洋服を着せると「敬愛」という言葉に変わります。これこそ、世に言う「愛」の本当の姿なのです。

では、どうしたら相手を敬うことができるのでしょうか?

それは、相手の優れている点を探すことではありません。なぜならば、常に人は成長もすれば、遅れを取ることもあります。つまり、彼、彼女の「ここは誰よりも優れている!」というポイントを見つけても、長い人生を歩む中で、誰にも負けずに優れ続けるということは非常に困難です。

人生は泥臭いものです。立ち向かうこともあれば、負けて逃げ出してしまうこともあります。それこそ、水戸黄門の主題歌ではありませんが、「人生楽ありゃ、苦もあるさ」です。

ですから、そんなものは一過性のものです。

しかし、一つだけ確かなことがあります。それは、相手と絶対に離れずに添い遂げるという覚悟。そして、相手がどんな状態のときも見捨てずに連れ添ってゆくこと。

相手が、元気な時も、どんなに弱っているときも、常に一緒にいること。これは、世の中がいくら変わっても、人生の難局が訪れても、自分が周りの人に比べて後れを取ってしまっているときも、平等に、そして努力するだけで行うことが出来る、大切なパートナーとしての行動です。

人は、相手を見捨てず、そして離れず、どんな時も一緒いることで、相手を敬うことができます。なぜならば、岩だらけの山道を、お互いに励ましあいながら登ってきた戦友になるから。

その時、初めて「敬愛」。つまり、筆者の言う「真の愛」になるのです。

最後に・・・

愛とは、もろいものだ!という人がいます。

もし、愛が壊れやすいならば、そんなものは、まだ、愛ではなく恋愛だったということなのではないでしょうか?

本当の愛とは、人が一緒に過ごし、そして一緒に長く連れ添うこと。その先に生まれるものなのです。